キネマ103:ざるそばの麺で焼きそば
更新日:2 日前
9月19日、土曜日
15時、ボローニャ空港に到着した。
空港から車でモデナへ向かい、16時にはホテルにチェックイン。
部屋に荷物を置くと、まずウェルネスエリアへ向かった。
サウナに入る。
長いフライトの疲れが、汗と一緒に抜けていく。
目を閉じると、飛行機の音も、空港の喧騒も遠くなった。
「……最高」
しばらく何も考えずに汗を流す。
ホテルのレストランは19時から。
まだ少し時間がある。
ホテルの目の前にあるスーパーへ出かけた。
イタリアのスーパーは楽しい。
パスタ、チーズ、生ハム、ワイン。
見たことのないものを眺めているだけで、時間が過ぎていく。
お土産も下見する。
そして、冷凍ケースの前で立ち止まった。
丸い、少し大きめの箱に入ったアイスクリーム。
ピスタチオ味。
「これにしよう」
ホテルへ戻る。スーツケースの中には、今回のフライトで台湾から持ってきたものがある。
甲仙のタロ芋の蜜煮缶
台湾から、ほんの少しだけ「自分の国」を持ってきた。
それを取り出して、買ってきたピスタチオアイスクリームにのせる。
ひと口。
ピスタチオの香ばしさと、ねっとりしたタロ芋。
「……合う」
思わず笑う。
「こんな組み合わせ、なかなか思いつかないでしょ?」
遠く離れた二つの甘いものは、無理やりくっつけても美味しかった。
19時、ホテルのレストランへ。
席につくと、陽気なウェイターがやってきた。
さっきから店内を見ていると、この人はとにかくよくしゃべる。
客を笑わせ、楽しませ、その勢いのまま追加のワインやデザートまで注文してもらう。
「この人、とても商売上手」
と小さく呟いた。
料理が運ばれてくる。
「トルテッリーニ・イン・ブロードは、イタリアの餃子だよ」
ウェイターが笑った。
スーユーは小さなトルテッリーニを見て、
「肉がチョットしか入ってないじゃない!」
「でも美味しいでしょ?」
ひと口食べる。
「……美味しい」
結局、それでいい。モデナ名物のトルテッリーニ・イン・ブロードと、パルメザンチーズ。
旅の最初の夜としては、完璧だった。
9月20日、日曜日
翌朝。11時、レッジョ・エミリア駅。
今日は、ミラノから列車でやってきたルオチュン(若春)と合流する。ルオチュンとは、オーストラリアの語学学校で出会った。年は離れてたけど、同じクラスで同じ台湾人。数か月一緒にルームシェアをしていた。
彼女はミラノの建築事務所で設計をしている。
「スーユー(思妤)!」
「ルオチュン(若春)!」
久しぶりに会ったような、昨日も会っていたような。
二人は笑いながら車に乗り込んだ。
今日向かうのは、サッソーロのバルサミコ生産者。
移動するときは、訪問先の店の人にお願いしてタクシーを呼んでもらう。
4代続く農園の古いバルサミコの熟成庫に入った瞬間、空気が変わった。
木の香り。
酢の酸味。
そして、長い時間がそこに積み重なっているような匂い。
樽がずらりと並んでいる。
「ずっと同じ樽に入れておくんじゃないんだ」
スーユーが驚く。
樽を入れ替えながら、何年もかけて熟成させていく。
しかも、樽に使う木の種類によって風味まで変わる。
1~3年ほどのものは、水気が多く、酸味がある。
20年ものになると、ぐっと甘くなる。
そして100年もの。
ほんの少し口に含んだだけで、二人は顔を見合わせた。
「甘い……」
「ドルチェに合うっていうの、わかるね」
納得した。
ただ、値段を聞くと二人とも黙った。
「……これは買えないね」
「うん」
テイスティングには、パン、ハム、パルメザンチーズも出てきた。
バルサミコを少し垂らして食べる。
美味しい。
そして、食べる。
また食べる。
「夜ご飯いらないね」
ルオチュンが言った。
スーユーはパンを手にしたまま笑う。
「出されたら食べるよ」
「誰が出すのよ」
スーユーは両手を上に向け、肩をすくめた。
「陽気でイケメンのイタリア人ウェイターとか?」
二人は声を上げて笑った。
モデナの午後
二人はモデナへ戻った。古い教会の建築を眺めながら、ゆっくり歩く。
石造りのファサード。
彫刻。
何百年も前からそこにある建物。
ふと、スーユーが言った。
「そういえば、前に言ってたよね。建築業界って男社会だって」
ルオチュンは教会を見上げたまま答えた。
「うん。設計者の世界もそうだけど、特に建築現場に行くと感じる」
「現場?」
「そう。女性だと、最初はどうしても舐められるの」
ルオチュンは少し笑った。
「この人、本当に分かってるのかなって」
設計図を描いているだけでは伝わらない。
現場に何度も足を運ぶ。
職人や施工する人たちと話す。
自分が何をつくりたいのか。
どこにこだわっているのか。
なぜ、そうしたいのか。
それを何度も伝える。
「熱意とか、こだわりが伝わって、初めてなんだよね」
ルオチュンが言った。
「一緒に作ってくれるようになるの」
スーユーは黙って聞いていた。
「だから、何度も現場に行った」
一度で認めてもらえなくても、また行く。
そしてまた行く。
そうして少しずつ、自分の思ったものを一緒につくってくれる人が増えていった。
「大変だね」
「うん。でも、面白いよ」
ルオチュンは笑った。
その横顔を見ながら、スーユーが言った。
「なんかさ」
「うん?」
「何もないところに何かを作る仕事と、まだ知らないところに行く仕事って、なんか似てるね」
ルオチュンがスーユーを見る。
「……そう?」
スーユーは少し笑ってから、肩をすくめた。
「私はいつも、誰かの目的のために降って湧いた行き先に行くの」
「降って湧いた?」
「そう」
「会社から『次はここ』って言われて、そこへ行く」
「行ったことのない都市のほうが、まだ多いんじゃないかな」
「知らない都市か……」
「今回みたいに、休暇付きなら楽しみだけどね」
スーユーは笑う。
「でも、それ以外はコピペのルーティンでしょ」
「行き先だけ変わって、やることはだいたい同じ」
「行ってみたら、意外と楽しみが見つかるけどね」
スーユーは笑った。
「両極端よね」
そして、少し考えてから、
「いっそ『Beef or Chicken?』を世界で一番質問した人で、ギネス狙おうかな」
「なにそれ。」
「最悪、『Chicken or Fish?』でもいいわ」
ルオチュンが笑う。
「どう違うのよ」
「だって、Beefの方がなんかカッコよくない?」
二人は顔を見合わせて、また笑った。
その笑いが少し落ち着いたところで、ルオチュンが言った。
「結局、最初の一歩が大事ってところは一緒かもね」
「うん」
スーユーが頷く。
「行ってみるまで、何があるかわからない」
二人はまた歩き始めた。
「明日は展示会に行くの。すごく広いところだから一万歩は歩くわね」
「一万かぁ……数字聞くとやだね」
二人はまた笑った。
二人はカフェに入った。
窓際の席に座って、モデナの街を眺めながら休む。
スーユーがバッグから細長い箱を取り出した。
「これ、お土産」
ルオチュンが受け取る。
「蜜香紅玉。台湾から持ってきたのよ」
ルオチュンが箱を眺める。
スーユーは少し考えてから言った。
「台湾産の美味しいお茶なの。時間がある時にゆっくり飲んでみて」
ルオチュンは箱を大事そうに眺めた。
「こっちでは買えないね」
「たぶんね」
「じゃあ、もったいないから少しずつ飲もうかな」
「うん」
世界中を飛び回るスーユー。
建築現場で何度も足を運び、自分のつくりたいものを伝えてきたルオチュン。
仕事は全然違う。
でも二人とも、自分から一歩踏み出して、知らない場所へ行っている。
そんなことを考えながら、二人はカフェを出た。
グローサリーショップ
街を歩いている途中、ルオチュンが小さなグローサリーショップの前で足を止めた。
「ちょっと入っていい?」
店内には、チーズやパスタ、オリーブオイル、乾物などが並んでいる。
その中で、ルオチュンが手に取ったのは乾燥ポルチーニだった。
「これ。」
袋を見る。10ユーロ。
「安い」
「この時期なら絶対買ったほうがいいよ」
ルオチュンが袋を少し近づける。
「この香りが好き」
スーユーも覗き込む。
乾燥しているのに、森の中にいるような濃い香りがする。
「じゃあ、私も買おうかな」
「絶対おすすめ」
二人はそれぞれポルチーニを買った。
お土産を買った後、イタリア人には少し早い夕食をとった。
その店では、仕事の話はしなかった。
建築のことも、明日の展示会のことも、スーユーの仕事のことも。
ただ、目の前の料理を食べて、くだらない
話をして笑った。
食事を終えるころには、また一つ、旅の思い出が増えていた。
店の人にタクシーを呼んでもらう。
ルオチュンはボローニャのホテルへ。
スーユーはモデナのホテルへ。
「じゃあ、またね」
「明日、一万歩」
「それ言わないで」
笑いながら、二人は別れた。
ルオチュンが一人でタクシーに乗り込み、夜の街を走り始めてしばらくすると、スマートフォンの通知が鳴った。
スーユーからだった。
写真が一枚。
スーユーの自撮り写真だった。
大げさな顔の隣にあるのは、さっき二人で食べたYAKISOBA。
そしてメッセージ。
「ざる蕎麦の麺で作った焼きそばって、斬新すぎたよね。日本の友達に見せよっと」
ルオチュンは写真を見て笑った。
「どんな反応するんだろうね」
そして返信する。
「私たちもタピオカピザとか作っちゃうけどね」
送信。
タクシーの窓の外を、夜のモデナの街が流れていく。
台湾から持ってきたタロ芋とイタリアのアイスクリーム。
ミラノの暮らしと蜜香紅玉。
100年前のバルサミコの甘さと今日焼かれたティジェッレ。
そして、ざる蕎麦でつくった焼きそば。
ポルチーニと台湾の何かもオモシロい組み合わせが見つかるかも。
違う国のものを組み合わせてみると、思いがけないものが生まれる。
それは、二人の仕事にも少し似ている。
何もないところに何かを作る仕事。
まだ知らないところへ行く仕事。
どちらも、やってみなければ、その先に何があるのかわからない。
ルオチュンはスマートフォンを伏せた。
明日はボローニャ。
大きな建材の展示会。
「……明日は絶対、歩くな。」
そう呟いて、ルオチュンはタクシーのシートに深く身を預けた。






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